野村克也監督|息子克則・古田敦也や野球界のノムさん追悼コメント

野村克也監督が急逝されました。84歳でした。

住み込みで働く家政婦が2月11日午前2時過ぎに、浴槽で意識を失っている野村克也さんを見つけ、野村さんはすぐに病院に搬送されましたが午前3時30分に死亡が確認されました。

愛妻家として知られたノムさんは死因も沙知代夫人と同じ、「虚血性心不全」でした。

野村克也さんは長く野球界で活躍され、TV番組や講演や解説でも独特の言い回しの「ぼやき」名言で野球界やファンから親しまれていました。

今回は野村克也さんの急逝を受け、楽天1軍作戦コーチの息子・克則さん、元ヤクルト監督の古田敦也さん、そして野球界や芸能界からのコメントをお伝えします!

野村克也さんの息子・克則さんと古田敦也さんのコメント

◆野村克也さんと沙知代さんの長男・克則さんのコメント

「正直、急すぎて実感がありません。受け入れられないというところもある。父が残してくれた全ての財産を今後は何らかの形で野球に生かしたい。今、実感がありません」
「親子で一緒に野球ができたことが一番の思い出だった」

と涙をぬぐいました。

◆元ヤクルト監督の古田敦也さんのコメント

「ID野球という言葉があるが、野球は頭を使えば勝てるんだ、ということを教えてくださった方。おかげで、弱小チームが1990年代に強くなった。もちろん今でも野村さんの考えには影響を受けていますし、正しいと思っている。これを継承して次の世代に伝えていくのが僕たちの仕事だと思う」

「選手とは一線を引く方で、プライベートでご飯を食べたりしたことはあまりない。僕が監督になった時も『選手と距離を置け』と言われた。監督は時には非情な決断をしなければいけないものですから」、「理論ばかりのようにいわれるが、実際には感情的で、ベースは負けず嫌いのかたまりのような方。その上での理論だった」

と突然の別れを惜しみました。

野球界や芸能界から悲しみの声

◆ソフトバンクの王貞治球団会長のコメント

「同じ時代を悪戦苦闘して戦い抜いた戦友。そういう人がなくなられるのは残念なことです。

(先月下旬、金田正一さんお別れの会で最後にあった時)「お互いまず最初に聞くのは体調はどうだいと言うことなんだけど、すごく元気そうだった。野球に対する意欲というのはものすごく強いから、野球に対する思いがあるうちはやっぱり体の方の調子もいいので、今朝聞いたときにはまさかという気持ちだった」

「我々はどちらかというと感覚的な野球でやっていたが、ノムさんは感覚+頭脳的な野球をやった。今の時代に十分受け継がれ、選手たちに伝わり、野村イズムはこれからも生きていくと思います」

◆田中将大選手のコメント

「突然の訃報に言葉が出ません。野村監督には、ピッチングとは何か、そして野球とは何かを一から教えていただきました。
プロ入り一年目で野村監督と出会い、ご指導いただいたことは、僕の野球人生における最大の幸運のひとつです。どんなに感謝してもしきれません。心よりご冥福をお祈りいたします。」

◆ヤクルト高津臣吾監督

涙で声を詰まらせながら野村克也さんへの思いを語りました。

「朝、楽天の(野村)克則コーチから亡くなったと連絡をもらいました。言葉にならない、そんな感じですね」

「入団時から、1から10まで、プロ野球の難しさを…。厳しさを、教わりました」

「抑えになってからは、難しさや苦しさを感じていた。1度も野村監督からは厳しく言われたことはなかった。最近は会えば必ず『抑えにして、悪かったな』ばっかり言われました」

(監督に就任後、野村さんから何度も激励を受けており)「見てもらいたかったです。またぼやいてほしかったですし、まだまだ教わることがあったと思う」

◆元阪神の新庄剛志さんは自身のインスタグラムにメッセージを投稿しました。

「宇宙人の名付け親 新庄お前はファンに愛されるカッコつけて野球をやればええんや 選手に自由に野球をやりなさいって指導したのはお前だけや お前は悔しいくらい可愛いな(>_<)

最高の言葉有り難うございました

実は野球の指導を1回しか受けた事がないその一回はボールをしっかり芯でとらえなさいただそれだけでした

お前は何番だったら野球を真剣にやってくれるんだ?
そりゃ4番ですよ?
次の日から僕を4番に起用し、その年プロ野球人生最高の成績をあげメジャーに行けた

ベルサーチいいですよって教えたらずっとベルサーチを着続けてくれた

俺が死んだ後今度は俺が監督 ノムさんが選手で二刀流をさせる
その時はキャッチャー新庄 野村克也という人間に野球人生の終了は1%も無い

俺がそっちに行ったら叩き起こすんでそれまでゆっくり寝ててください(>_<)
本当に笑顔で有り難うございました(^^)
また会う日まで野村克也監督

◆元ヤクルト・内藤尚行さんのコメント

「寂しい」
「野村さんの教えの中で『非難・称賛・無視』ということで、何を隠そう、最初のミーティングで怒られたのは僕。『ミーティングで眠くなるやつがいるな内藤』って言われた。

それでも非難・称賛・無視っていうので、僕にはどんどん非難しても這い上がってこいよっていう意味だったと思う。

そういう組織論から教えられた。

僕はどちらかと言うと、感性でやってきた人間で、ノムさんの野球とは反対だったが、やはり野球というのは考えることが大事なんだなと学んだ。

『強打者を迎えたらどうする?』って言われた時に、『様子を見てアウトローですかね』」って答えたら、『お前はやっぱりバカだな!』って言われた。『強打者を迎えたら勝負球だろ!』っていうのを覚えてます。

◆楽天の石井一久GMのコメント

プロに入って一番お世話になったかた。野球の原点を教えてもらった。ショックでした。

思い出はプロに入って2年目くらいの時、打たれた後、監督室のいすを蹴飛ばされ、『お前おれをなめてんのか』と。今まで聞いたことのない言葉で怒ってくれた。あの形相と言葉づかい、いすの距離は一生忘れる事はないと思います。

(最近は)球場でお会いした時、『元気か。どこかのタイミングでユニホームを着ないとダメだぞ』といつもそんなお話をされていた。

(息子の)克則と同い年なんでお父さんのように温かく見守ってくれた。
野村さんに教えてくれたことを次の世代に伝えて行くことが恩返しかない。

◆高須クリニック院長の高須克弥院長はTwitterを更新しました。

「ノムさんが死んだ。

僕の奥さんが死んだとき『奥さんが死ぬと旦那は後を追うから大事にしなさい』とサッチーと慰めてくれた。いい夫婦だった。

ノムさん、歌もうまかった。『まだくたばらないぞ。俺たち』また会えるね。待っててね」

   
  

野村克也さんのプロフィール

京都府網野町(現在の京丹後市)出身、府立峰山高校の時、テスト生として1954年に南海へ入団しました。

長打力もつ強打者で、1957年に初タイトルの本塁打王を獲得し、1965年戦後初の三冠王になりました。

歴代2位の通算657本塁打など多くの記録を樹立しました。

1970年に南海でプレイングマネージャーに就任、以降はヤクルト、阪神、楽天の4球団で監督を歴任、1970~77年は監督兼任、1973年にはリーグ優勝を果たしました。

1977年には南海の監督を解任されましたが、「生涯一捕手」と語り、ロッテや西武で現役を続行しました。45歳で引退するまで3017試合出場のプロ野球記録(当時)を作りました。

現役通算2901安打、打率2割7分7厘、657本塁打、1988打点。本塁打王9回、首位打者1回、打点王7回。

1990年にはヤクルトの監督となり、データ重視の「ID野球」を掲げて、古田敦也らを育て、1992年ヤクルトをリーグ優勝に導きました。

そして、1993年には西武を倒し、ヤクルトが日本一となり、1995、1997年にもヤクルトは日本一となりました。

1999年から2001年には阪神、2006年には楽天の監督となり、2009年には球団創設後最高の2位に躍進させての退任でした。

監督通算1565勝1563敗76分けで勝利数は歴代5位でした。

「ノムさん」との愛称で親しまれて、解説などでは「ぼやき」と呼ばれる辛口のコメントで多くの名言を残しました。

愛妻の野村沙知代さんも野村克也さんと同じ虚血性心不全で2年前に亡くなったばかりでした。

野球界からはまだ続々と惜しむ声が聞かれています。
野村名監督のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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